コラム

2018/01/22

雪の日の三大事件

雪が降っていたので塾生向けの案内をしてみたところ、昨年の春期講習以来更新していないことに気付きました。流石にこれはマズかろうと反省しましたので、とりあえず新しい話を書いてみました。雪が降るとネタにしたくなる歴史上の三大事件です。

 

【赤穂浪士の討ち入り】

今の小学生や中学生はもう大石内蔵助と言われても全くご存じありませんが、30代より上の方であれば一度くらいはテレビで見たことはあると思います。歴史的大事件かと言われるとそうでもないですが、一応歌舞伎なんかでも大人気だし、昔は何度も映画化したし。

 

さて、この討ち入りの日ですが、雪は降っていなかったようです。ただ、前日は大雪だったらしく、事件当日も雪はあった模様。もともと吉良邸は呉服橋御門内(要するに江戸城外堀の内側)にあったので、普通に考えれば襲撃できない位置にありました。それがなぜか事件前に本所松坂町に移転・・・。討ち入りを望む幕閣の陰謀という話もありますが、単にお役御免になったので遠くに移されただけなんじゃないかと。

 

鍛冶橋御門_R      両国橋_R

「吉良上ツケ」とあるのがそう。現在は東京駅の下くらい?        真ん中のお寺(回向院)の下にある本多孫太郎の南側です。

あれ?鍛冶橋御門内?                         御材木蔵が今の両国駅と国技館の辺り。

 

私としては赤穂浪士の討ち入りなんて、「隠居した老人を集団でよってたかってボコる」という、決して誉められたものではないと思いますが、人それぞれですよね。

 

【桜田門外の変】

井伊大老が暗殺された事件です。

事件当日、雪は降っていたようで、お供の皆さんが刀を袋に入れていたというのは有名な話ではないでしょうか。おかげで襲撃時に抜刀できず右往左往した挙句、次々と被害者になっていくわけですが・・・。一応、井伊家の名誉のために言っておくと、一人河西なんとかという剣の達人がいて、落ち着いて刀袋を捨てて闘い、何人か仕留めた人もいます(多勢に無勢で斬死にしましたけど)。

 

33日の上巳の節句ということもあり、江戸にいる諸大名が総登城していたことから見物人も多かったらしく、井伊大老が首を討たれて犯人が持って逃げたところまで皆さんバッチリ目撃している模様。犯人は主に水戸藩士(藩に迷惑をかけないため一応脱藩しているけど)と薩摩の人が1人。

 

謎なのは、首を持った犯人は辰口の評定所の方まで行ったという話だから、日比谷御門を通過しているはずなんだが、門で捕まりはしなかったんだろうかという点。現在の桜田門の前から大手町の駅前の方なので、だいたい2km程度。首持った殺人犯が走って逃げていたら誰も近づきませんか。でも犯人側も負傷していたという話だから、よく2kmも逃げたよな・・・

 

首は、一旦、遠藤但馬守(若年寄)邸で預かったようですが、別人の首ということにして井伊家で回収し、胴体と縫い合わせてしばらく「病気」ということにしたようです(老中も了解していると思われる)。なにせそうしないと、井伊家は取り潰さないといけないし、井伊家を潰したら井伊の浪人達が水戸藩邸に討ち入る可能性が高く、「御三家対譜代筆頭(しかも取り潰し)の戦い」という、かなりヒドイことになりそうでしたので。どっちにしろ江戸幕府の権威はガタ落ちなんですが。

 

無題 - コピー

嘉永二年(1855年)の地図。大岡主膳正のあたりに遠藤但馬守が移ってくる・・・はず。

⇒が逃走経路(想像) ◇が犯人の力尽きた場所。

関係ないですが、「松平肥後守」は会津藩です。

 

実はもう一つ謎があって、最近、世田谷区?か何かで調査したところ、豪徳寺の井伊家の墓には、なぜか井伊直弼の遺体は見つからなかったという話。どこに行ったんでしょうね。

 

【2・26事件】

三つ目はクーデター未遂事件です。陸軍の青年将校が部隊を率いて反乱です。

5・15事件とよく混同されますが、部隊がまるごと反乱を起こした2・26事件の方がヤバい。桜田門の警視庁があっという間に占領されてしまったので、警察は鎮圧を早々に諦め、陸軍に丸投げした模様。陸軍内部では鎮圧するかどうかで揉めたようですが、昭和天皇直々に「あれ反乱軍な!」(超意訳)という命令が出て仕方なく潰した面がある。海軍は長老を3人(斉藤内府・鈴木侍従長・岡田首相)もやられたため激高し、横須賀鎮守府から第一艦隊が出てきて艦砲で反乱軍を狙ってたという話。物騒ですね。

この辺になるとかなり最近でして、私の祖父なんかもすでに生まれていますから、直接話を聞いたことのある人も多いのではないかと。

 

謎なのは、「王政復古の大号令」という、実は全く同じことを薩長がやって、これは成功してしまったのだけれど、その辺の評価が意外にも高い点。あれも暴力を伴うクーデターであるので、「明治維新」を評価する人は「昭和維新」(2・26事件のこと)も評価しないと整合性が取れないと思うんですが・・・。違いは、王政復古のときは天皇が幼く、統治能力も判断能力もなかったという点に対し、2・26時点の天皇は摂政宮以来の統治実績もあり判断能力もあったという点ですね。「幼帝を擁し云々」などと、どこぞの土佐の酔っ払いが口走ったのは確かにその通り。孝明天皇が生きていたら王政復古のクーデターはありえません。むしろ明治維新の方が悪質か。

 

ああ、雪の話でした。

2・26事件も雪の写真が残っているので、雪が降っているときに起こったように錯覚されますが、正確には部隊出動時には雪は降っていなかったようです。その後が大雪なので、雪のイメージしかないんですが。

 

Hanzomon_February_2x_1936_R

 

こんな感じ。

 

 

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