コラム

おいしいカレーの作り方

 

大学のテストで困った時に書くと「優」がもらえるとか何とかの都市伝説がありましたが、実は中学受験でもおいしいカレーの作り方は大事です。「カレーを作れる子は算数もできる」なんて本もありますし、社会の野菜の産地ネタで使われることもありますが、「理科の勉強にもなる」いう話は誰もしないので書いてみました。色々ありますが、とりあえず次の二点です。

 

【まずは対流のお話】

たとえば、カレーやシチューを作るとき、必ずかきまぜないと焦げてしまいますが、なぜ焦げるのでしょうか? これは、カレーやシチューでは対流が起こりにくいため、加熱している底面が過加熱されてしまうことが原因です。だから、かきまぜて強制的に熱を移動させないといけない。また、かきまぜ方も底の方から全体に混ぜなければいけません。これで対流のお勉強ができますね。

 

なぜ対流が起こるかといえば、温められた水は膨張する性質があり、膨張することで密度が小さくなり、重力も小さくなるため冷たい水(=比較的重い水)よりも上に移動するということですが、この説明ができれば、風が吹く仕組みも説明できるようになるので、意外に大切です。

 

【次は消化酵素のお話】

また、肉や野菜などのカレーの具材を煮込む前にワインなどにつけ込むことがありますが、これは何が目的でしょうか? 香りづけの目的もあるのでしょうが、実はお肉を軟らかくすることが本当の目的です。何らかの酵素(プロテアーゼ)を働かせれば、タンパク質の結合が分解するため、お肉が柔らかくなるという仕組み。

 

では何を使うのかと言えば、まずプロテアーゼを含む何かです。具体的には、タマネギ、生姜、にんにく、キウイフルーツ、マイタケなど。次に、プロテアーゼは酸性で働きやすいようなので、若干酸のある液体。ワインなどは弱酸なのでちょうどいいかもしれません。唐揚げの仕込みでニンニクとショウガと醤油に肉をつけ込むのも同じ理由でしょうか。そういうわけで、こうして消化酵素の勉強ができるわけです。いっそ対照実験をしてみるとさらに面白いかも。

 

学校では消化酵素の実験といえば「唾液アミラーゼとでんぷん」の実験と相場が決まっていますが、こういう何か変態的な実験よりは、家庭科と絡めて肉を煮込む実験の方が面白いと思うんですよ。とにかく、身近な料理などから理科の勉強をすると良いかもしれません。

 

 

余計なことを書く暇があったら、早く春期講習の時間割出さないといけませんね、すみません。明日には出します。きっと。

 

 

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今日は何の日?

 

というネタを小6の社会でやるのですが、

残念なことに今日のように重要事件がいくつもあった日に限って授業がない・・・。

まあ、実は昨日しゃべったんですけど。

 

 

【旧暦でいいならば・・・】

33日といえば現代ではひな祭りですが、江戸時代には「上巳の節句」ということで、諸大名が総登城することになっていました。この登城中に暗殺されたのが井伊直弼。いわゆる桜田門外の変ですね。

 

井伊大老は駕籠から引きずり出されて首を刎ねられた上、浪士の一人が首を持って逃げて、江戸城大手門の前にある若年寄遠藤胤統邸の前で力尽きたという。この遠藤屋敷、幕府からの拝領屋敷であるためか、すぐに所有者が変わるので切絵図で探すのが大変なのですが、酒井雅楽頭邸(こっちは200年くらい変わらない)の左にある敷地です。

 

私が気になっているのは、犯人の逃走距離。桜田門外から辰口の遠藤屋敷まで2kmほどあり、現代的に言えば桜田門から内堀通りを日比谷交差点で左へ曲がって、馬場先門、和田倉門をこえてちょっと先ですから、意外に距離があります(しかも当時は日比谷御門を抜けることになる)。ここを江戸時代の人間が首を持って走ったのがちょっと信じがたいのですが、どうなんでしょうね。

 

さて、首を拾ってしまった?遠藤家でも相当困ったでしょうが、色々あって、首は井伊家に返還されました。

お持ち帰り後は医者が糸で胴体と縫いつけて、病気ということでしばらく寝かせておいたという話です。見物人はわんさかいるし、他家の行列も通過しているので、皆さん何があったかご存じなのですが、知らないことになっています。江戸市民もさっそくネタにしたらしく、さまざまな狂歌が残っています。中でも私が好きなのが、

 

倹約で、枕いらずの御病人

 

 

確かに枕いらないよね。 

 

それはともかく、季節外れの雪が降っていたせいで、井伊家の武士の対応が遅れた(刀が抜けなかった)という話があり、雪が降っていなかったら歴史が変わっていたかもしれません(一発目の銃撃でアウトという話もあるけど)。桶狭間も雨のせいで事故った感じなので、その日の天候が歴史を変えてしまうということもあるんですね。

 

 

【血なまぐさい話が続きます】

新暦(グレゴリオ暦)ならば、146733日にも大事件がありました。いわゆる応仁の乱の勃発です(「上御霊社の戦い」が33日)。

 

これは11年も続いた上に複雑怪奇なので、非常に説明しがたい。たとえば、当事者の足利義視(義政弟)ですが、はじめ東軍の総大将だったのに、いつのまにか西軍の総大将になっていたり、朝倉孝景も初めは西軍の主力だと思ったら、越前守護をエサに東軍に寝返ったりと、いったい何なの!? まあ、室町時代は観応の擾乱からそんな感じですけどね。直義がいつの間にか南朝に下ったり、なぜか尊氏も南朝になってたり。

 

ちなみに威勢を誇った三管領のうち、分裂した畠山氏は子の代まで殴り合いを続けて没落、斯波氏は越前を奪われて遠江に行ったら今川に殴られて没落。細川は周回遅れの後継争いで没落していきます。

 

 

さて、なぜこんなに長引いたのかというのが昔から謎なのですが(たとえば関ヶ原は1日で終わってる)、色々と言われる要因があります。まず、京都の町がブロックごとに城塞化されていたこと。土一揆のせいか京都は治安が悪く、公家屋敷も寺も堀とか塀とかを設けて自衛していたのだとか。それを武士が利用したらそりゃ大変ですわね。次に、利害関係者が多すぎて話がまとまらなくなったこと。細川と山名が和睦しようとすると赤松が邪魔をしてくる(備前・播磨は渡せん)とか。そして、何より参戦者にやる気がない。自分の利害には必死ですが、幕府のため?何ソレ?って感じで戦ってます(だからすぐ裏切る)。

 

応仁の乱後、「日本は戦国時代に突入した」と説明されることが多いのですが、近年では「明応の政変」に求める説もあり、学校の教科書では、ぼかして書かれています。

 

 

【ついでに31日】

最後は、韓国では祝日にもなっている3・1独立運動の日です。

 

高宗(元の大韓帝国皇帝)の国葬(これは33日)にあわせて、朝鮮の宗教指導者が独立宣言をしてやろうと始まった運動です。もともと平和的に行われる予定だったようですが、なぜか暴動に発展、日本が軍事力で鎮圧したためにけっこうな惨事になりました。

 

さて、「高宗」(日本では李太王)の国葬ですが、これは当然?「日本政府主催の国葬」です。併合後の朝鮮の王様は酷い扱いを受けたわけではなく、むしろ準皇族扱いされて優遇されているんです(それが良いことかどうかは別)。国葬ってかなりの特権ですよ。しかも、本来東京で出すべきものを、わざわざ京城でやるのだから、日本側もかなり配慮したんですな。向こうからすれば、それでもダメなんですけど(儀式方法が日本式だったので反感を買ったらしい)。

 

それから、このときの宣言は意外にも親日的な表現もありまして、「日本ヲシテ邪路ヨリ出テテ東洋ノ支持者タル重責ヲ全フセントシ」なんて書いてあります。別に日本を責めたいわけじゃない、自分たちは独立して仲良くしていきたいだけなんだという彼らは、現在の日韓関係を見てどう思うんですかね。

 

この運動については、アメリカの理想主義者の某大統領の影響も忘れてはいけません。余計なことを言いやがって(byイギリス&フランス)。オーストリア帝国とかオスマン帝国を潰すためのスローガンでしかないのです。ヒトラーもこれを大義名分に周辺国を侵略しているので、実は第二次世界大戦の間接的な原因なんじゃないかと思わないでもない。

 

 

 

って、ここまで書いておいて3月3日投稿し忘れたという・・・

今日はもう6日ですよ! 悔しかったので載せてみました。

 

 

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