コラム

2016/01/27

「新座」の地名の由来

先日、立教新座中の入試がありました。

そこで「新座」にちなんで小ネタを一つ。

 

「新座」という地名は、平安時代に作られた延喜式の「新座郡」に由来しておりまして、古くは「にいくら」と読んだそうです。たとえば、外環道の新倉PAの「にいくら」は新座郡に由来します。

 

「新座郡」は、設置された奈良時代には「新羅郡」と呼ばれ、朝鮮三国の一つ「新羅」の人々を計70人くらい、閑地に移して始まったとされています(続日本紀)。範囲は、郡衙があったと考えられている和光市の他、志木市、新座市、練馬区大泉地区周辺にわたる地域です。ちなみに、「石神井」は豊島郡に含まれ、新座郡ではありません。

 

新座市は当然、「新座郡」に由来しますが、志木市の「志木」という地名も、実は新羅→志楽→志木となったとのこと。面白いことに、もともと志木と言われていた土地は「白子」(和光市)に名前が変わっておりまして、江戸時代には川越街道の「白子宿」が栄えていました。ついでに言うと、大泉地域を流れる白子川も、「新羅川」と呼ばれたこともあったのかも。

 

埼玉県にはもう一つ、「高麗(こま)郡」というのもありまして、これも三国の一つ、高句麗に由来するとのこと。八高線の高麗川駅のあたりですが、今も高麗神社という神社が残っています。こちらの方は新羅より待遇が良かったのか、スタートから1800人くらい集められて村が作られたようです。トップには従五位下、王(こにきし)という姓が与えられていたようなので、やはり厚遇なのでしょう。

 

新羅、高句麗とくれば、百済はどうなった?となりますが、これは別格でして、百済王氏は公卿を輩出したり、天皇の妃も何人か出したりと、中央貴族として大いに栄えています。「百済郡」も摂津国に設置ですから、武蔵の辺鄙なところに作られた高句麗や新羅とは扱いが違います。もっとも、奈良時代に設置された「百済郡」は、平安時代には消滅してしまっており、現在はどこにあったかも定かではないということです。

 

 

地名ネタのうち、石神井と高野台は一度載せたことがありますが、また改稿して書いてみます。

学習塾と何の関係もないような気もしますが、きっと気のせいです。(堀口)

 

 

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